南山教会の歩み

 

 1932 (昭和7) 47日財団法人として設立された南山中学 (男子の旧制中学)が第1回の入学式を迎えた。これが現在南山教会の建つ丘から見渡せる地域での布教・教育活動の正式の開始であつた。第二次世界大戦の苦難の時期を経て1946年南山外国語専門学校の開設が第二の出発と言えよう。

  一方戦争末期空襲で焼失した小教区教会であった今池教会に変わって学園聖堂が利用されたことがあり、その後新しく設置された東山教会に移った。しかし戦後の火災等で旧ピオ11 世館、力マボコ仮聖堂を転々とした学園聖堂で主日にミサにあづかる信徒の数は増え続け、1950 (昭和25 ) 4 13 日付けで当時の神言会管区長フ一ベルト・プランテン(Hubert Flatten)師からハインリッヒ・シュタインホッフ (Heinrch Steinhoff) 師に「南山学園での信徒の司牧をうけもつこと」との書簡が送られた(南山教会25 周年史)。この頃当時の松岡名古屋教区長から小教区認可の書簡が送られたものと思われるのが、その書簡は教会、学園で見当らず、教区にもコピーは残っていない。一方、松岡司教の司祭叙階50周年を記念して発行された「素顔の名古屋教区」の南山教会のところには「昭和251225 日付をもって南山小教区が独立し、神言会の司牧に委ねられた」と記されているので、書簡が見つからない限りこの記述を小教区設置の根拠にすべきであろう。なお洗礼台帳の記載は既に1949年に始まっており、カトリツク教会祝日表に南山教会の名称が最初に載ったのは19513月である。

  その後信徒数も1000人を越え、1958年に現聖堂が完成した。この聖堂は南山大学付属聖堂兼小教区聖堂即ちカトリック南山教会として建設されたが、1967年に至って学校法人南山学園から神言会日本管区に譲られることになり、1969年にその手続きが完了した。現在も南山短大の卒業式等には使われているが、基本的には神言会の日本管区の主聖堂として、神言会が日本で布教を終えた時、最後に名古屋教区に渡されることになっている。

歴代司祭